2014年02月28日
祭りの後。
お祭りの後、長年やきとりを売り続けてきたおじさんが、転職を決意しました。
何に転職したのでしょうか?
さて、県下一周駅伝が終わり、ソチ五輪が終わり、生活に張りが無くなったと思った途端に風邪を引きました。
学習塾では、3月6日7日の高校受験に向けて最後の追い込みをかけなければならないのですが、気が緩んだのは、自分の心の本気度合いが低かったのかなと思わされます。
鹿児島県高校入試は多くが定員割れの状況です。
中学生たちは、「そこそこの努力」で合格してしまいます。
私は、この現実に対してどこか諦めや甘えを持っています。
ただし、ここでラクをして高校へ進学した負債は、必ず高校・大学や社会へ進んだ先で返さなければなりません。
塾講師から高校教師になる私もまた、学力低下問題の憂き目に遭うでしょう。
高校受験という一大イベントを通して、努力と成功・失敗の因果関係を体験し、さらに危機感への耐性、延々と続く単調作業の意義を理解できます。
それを早めに知っておくことは、後の勉強だけでなくスポーツ、人間関係においても「考え方の広さ」という大きな差となって現れてきます。
風邪を引いて、かえって子どもたちと真摯に向き合おうと思えたのは、まさに怪我の巧妙。
入試直前は、学校でもテスト、塾でもテスト…
彼らには疲れの色が濃く見えていますが、ゴール地点まで全力で駆け抜けてほしいです。
ところで焼鳥屋のおじさんは、「やきとりは、もう売らない!」と言って占い師になったそうです。
曰わく、
吉と出れば今のままで良し、
凶と出れば気を締めるが良し、と。
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12:13
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2014年02月22日
苦節三年。

2月15日〜19日の県下一周駅伝では、応援を数え切れないほどの方々にいただきました。
どうもありがとうございました。
このユニフォームを着て、県下一周駅伝を三回、九州一周駅伝を二回走らせていただきました。
霧島市の私塾「国分教育ゼミナール」のランナーとして走るのは、三日前のレースで最後。
姶良市のタカヤマスポーツさまが二年半前に作ってくださったユニフォームは、何度もゼッケンと安全ピンを取り付けてきたので、四隅がほつれています。
この戦闘服を着るときは、いつも真剣勝負。
調子の良い時も悪い時も、私と共にゴールまで飛んできてくれた戦友です。
ところで、当塾のイメージカラーは三つあって、青・緑・橙色。
ブルーとグリーンは、未熟な新芽やつぼみ。
オレンジ色は、開花した色です。
オレンジ色が入っていない私のユニフォームは、いまだ開花せず成長途上なのだと教えてくれます。
次のユニフォームは何色かな?
期待と寂しさが錯綜します。
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11:39
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2014年02月11日
見えるものと見えないもの。
目に見えるものと、見えないものと、どちらが面白いでしょうか?
例えば、テレビは世界のあらゆるものを映し出してくれますから、「深海魚の生態」や「オリンピック選手のパフォーマンス」などは、実際に目で見てこそ面白いものです。
一方で、「故人」は見えませんので、生前の記憶や言い伝え、遺影を通して想いを馳せます。
「時間」も見えませんが、見えないからこそ、長く感じたり短く感じたり、感情が左右される点は面白いかと。
また、奥ゆかしい女性は、控え目に振る舞い、相手に多くを見せません。
そういう人は、良い意味でモテます。
見えないものとは、確信できないものです。
不確かなものは、想像で補わなければなりません。
確証が得られないからこそ、「もっと見たい、聞きたい、知りたい」と面白く感じるのでしょうか。
見えないものの一つに「電気」があり、「気」があります。
「気」とは何か?
説明しようと思う本人も、よく分かりません。
これもまた、見るものではなく、感じるものだからでしょう。
鍼灸や柔道整復の治療家のお言葉を借りれば、人体にも微弱な電流が存在し、それを気の通り道(経絡[ケイラク])というのだそうです。
この経絡は、スムーズに流れるとき、体調は良好となり、疲労や障害、ストレスによって流れが渋滞したり壊れたりするとき、体調は崩れるのだそうです。
治療家は、痛みの箇所とは遠く離れた指先をさわるだけで、痛みや凝りを軽減します。
なにぶん目に見えないので、患者側は自分の体に何が起こっているのか確認できないのですが、体調は確かに良くなっています。
治療家はこうおっしゃいました。
「気の流れは目に見えないので、治療は難しい。一方で、目に見えないからこそ面白い。」
「気は伝播する。
末期癌の患者と相対するときは、集中力を保たなければ、治療家も体調を崩してしまう。」
逆に言えば、良い気もまた伝わるのでしょう。
楽しそうな人やノリにのっている人には、自然とそばに近付いていきたくなります。
視力に頼らずに感じるという点では、ランニングも同じく見るのではなく感じるものなのかなと思います。
ここから、小難しい話になります…。
やはり目に見えないものの方が面白いと思うのですが、逆に見えるものが在るからこそ、見えないものを意識でき、魅力的に感じるのだと思います。
ということは、見えないものを感知・受容するために、まずは目に見える現象を数多く経験しなければなりません。
裏を知るためには、表を熟知しなければならないからです。
さらに、その表裏は一体であり、見えないものとは、実は無く、見えないと思い込んでいるだけなのかもしれません。
見えなくても、何か良い感じがしたり嫌な気分がしたり…それは実は感知しているということです。
単にその錯覚に面白みを覚えているのだとしたら、私はまさに「頭の上にあるメガネを、探し続けているのび太くん」状態ということになります。
灯台もと暗し状態にあるのび太くんは、メガネを体に身に付けていながら、メガネの位置がどこか分からず「メガネメガネ…」と、さまよい歩くのです。
私も「気」が巡る体を持ちながら、「気」は何かわからないと思い込んでいるのでしょう。
そういう意味では、治療家にはきっと「気」が見えているのだと思います。
それが見えるようになるためには、「気」が表面化した「眼前の症状・精神状態」をひたすら見続けることが必要です。
現象を見続けることで、目に見えない「気」の存在を信じることができるようになるのでしょう。
ひいては、目に見えないものを信じることができる人は、眼前の現象を目を逸らさずに見続けてきた人だと言えるのではないでしょうか。
好奇心だけはあっても、目に見えるものだけしか信じられない自分を脱し、より大きな人格を作るために、あらゆるものを観察していきたいものです。
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23:44
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2014年02月10日
ランナー時々パティシエ。

一足先に、母と共にバレンタインデーのチョコレートを作りました。
菓子箱を再利用し、チョコレートクランチを敷き詰めると、それらしい仕上がりに。
食べる喜びと作る喜び…
まだまだ食い気がまさる私ですが、自分がおいしいと思うものを、他者にも食べてほしいと願うのは、根源的な人間感覚です。
妻は、抹茶きな粉のシフォンケーキとブラウニーを作ってきてくれました。
おいしいお菓子でつながる夫婦関係も、悪くありません。
県下一周駅伝まであと5日。
最終合宿に参加しました。
残りの5人を選考する8000m走は、例年以上に熾烈なメンバー争いに。
なんと当落線が24分台でした。
去年の県下一周で区間賞を獲得した選手でさえ、メンバー入りできなかった状況をみると、盛者必衰や栄枯盛衰といった無常観が感じられます。
同時に、自分もいつか県下一周駅伝を走れなくなる年が来るんだとも思わされます。
今年も強豪姶良チームで走れることは、贅沢なこと。
来年ありと思う心の徒桜…
今年も命の限り走り切ることこそ、恩返しです。
走らせていただく喜びいっぱいで、調整期間を過ごしたいと思います。
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23:37
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2014年02月05日
十有五にして〜に志ざす。
三寒四温の「寒」が再来し、一気に10度も下がりました。
風邪を引かないようにと気を遣います。
今年も県下一周駅伝が近付き、南日本新聞も賑わってきました。
ソチ五輪のかたわら、鹿児島のランナーたちも戦支度を整えています。
私の方は、今日のスピード練習を終え、本番までにもう二回だけ刺激走を入れて、あとは休めるだけです。
さて、湧水町は吉松中学校の立志式へ参りました。
数え年15になる中学二年生が、決意新たに成人に向けて出発する儀式と言える式です。
写真を撮らなかったのが残念ですが、1クラス全員各々の立志表明や合唱はとても印象的でした。
きっと練習を重ねたんだろうなぁと、陰の努力が垣間見えた立志式でありました。
講師を依頼されたことは、有り難い限りです。
壇上から大勢に向かって話す機会はなかなか得られません。
場慣れの訓練になるのはもちろん、子どもたちは様々な表情や姿勢で、私の話への評価を与えてくれます。
何か一事をやり遂げることで得られる勉強資源は、多くて幅広いからこそ日々喜べると伝えたかったのですが…
回りくどかったり、抽象的になってしまったりして、反応は今ひとつ。
中学生相手ならば、具体例や体験例を聞かせる内容をもっと増やせば、よりよく伝わるかもしれないと教えられました。
私も30歳手前にして、経済的精神的に自立しなければなりません。
子どもたちの立志によって、私自身の自立を助けていただいた貴重な機会でした。
ちなみに、13年前の県中学駅伝で、優勝した第一鹿屋中学校の引率の先生と吉松中学校で再会できました。
我が牧園中学校は準優勝でしたので、当時中3の私は、悔しい思い出と共にライバル校をよく記憶していました。
鹿屋地区で盛んに行われている朝練習を、吉松中学校でも取り入れられているそうです。
先生ご自身も生徒が登校する一時間前から走ることもあるのだとか…つい、うらやましく思ってしまいました。
走ることを通して、不思議な邂逅を体験させていただきました。
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17:43
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2014年02月01日
如月朔日。

奥さん作「アボカド納豆パスタ」
訳あって食べることができませんでしたが、見た目も名前もヘルシー志向で嬉しいです。
運動と縁遠かった彼女が、徐々にランナーにやさしい生活へと染まっていく様子を愉快に思っております。
昨日、温泉で湯船に浸かっていると、ご近所さん方の話し声。
「もう一月も終わり。二月はもっと早えど」
私にとっては、一月は少々長かったかと。
年始のご挨拶やお手伝いから始まり、駅伝練習に気を入れながら、体調回復に努める日々。
書き物や塾の仕事も何かと忙しいひと月でした。
忙しいことは良いこと。
二月も行事が目白押しで、充実の予感がしております。
今週頭に、出身高校の生徒と一緒に走ってきました。
2月1日の県高校新人駅伝に向け、天を衝く意気で走る姿を見せていただきました。
こんな生徒がいる学校の教師になりたいものです。
後輩達から練習メニュー作成の依頼を受けたのが昨年11月。
競技の実績らしい実績もない進学校の陸上部員たちですから…
やる気はどの程度かと様子を伺っていると、実直で情熱のある子ばかりでした。
坂道を毎日走れ、定期試験前も年末年始も走れと言えば、ほとんど実行に移してくれます。
私がメニュー内容をハードに設定してしまったせいか、怪我人や体調不良者が出てしまいましたが、私にとっても生徒にとっても、良い勉強になったかと思います。
生徒は、未体験の練習強度を体感していく中で、それぞれの価値観に新しい世界を感得していくはずです。
筋肉や骨のうずきや痛み、
呼吸器・循環器が楽になるリズム、
腕と脚の連動で推進する感覚、
余計な脂肪や筋肉が削ぎ落とされていく身体、
接地感覚や接地時間の変化、
速く走れた時の思考パターン、
不調時の練習条件や環境条件、
故障者の行動制限や心理的苦痛、
など、どれも厳しい練習を継続しない限り見えない自分の姿、それこそが新しい世界です。
走ることで得るものは結果だけではないのは、上記の通り、明らかだと思います。
ひたむきに走り続け、苦しい中で自分を見つめ、世界観を広げていくことは、将来生きていく上できっと役に立つと信じています。
ところで、選手が故障するほど練習しすぎにならないように手綱を引いてやるのが、指導者の主な仕事だと聞きました。
その案配やさじ加減が難しく、この上なく面白いのでしょう。それに携わると思うと、今から胸が躍ります。
ただし体が動くうちは、高校生と一緒に走る楽しみを満喫したいという青写真もあります。
私の将来をますます楽しみにさせる契機を与えてくれた加治木高校生たちは、大切な恩人です。
Posted by らじうむ at
16:15
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