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Posted by チェスト at

2016年10月17日

夏目の妻。

今、家族内では、空前の夏目漱石ブームが。


東を見れば、家族を呼び集めてNHKドラマ「夏目漱石の妻」を観、

北を見れば、漱石の伝記を読み聞かせ、

上を見れば、漱石の生き方を観察し、

南を見れば、「吾輩は猫である」を読んでいます。


私も、以前読みかけのままだった「猫」を久しぶりに手に取り、クシャミ先生たちの世界を楽しんでいるところです。



ドラマ「夏目漱石の妻」は、「妻」鏡子さんの視点を中心に描いた、漱石さんの半生です。

見合い結婚から始まり、教師を辞めて作家活動に本腰を入れるところ、養父からの無心、胃潰瘍との戦いなど、漱石さんの人生の要所にはいつも鏡子さんが縁の下に控えていました。

幼少時に不遇な扱いを受けた漱石さんは、きっと家族に甘えたかったのでしょう。

暴言、暴力、夫の権威濫用を駆使して、鏡子さんにツンツンと感情をぶつけます。

鏡子さんも一歩も引かずに応戦しますが、男尊女卑がまかり通る世では、我慢を強いられることが多かったようです。


しかし時には、鏡子さんの家族がピンチに陥った折、漱石さんは支援金を工面して義を尽くすこともあり、夫婦が支えあう一面も。

漱石さんは、病状が悪化するまで、妻への愛情やお礼を表面に出すことができませんでした。

意地やプライドが邪魔する気持ちはよくわかりますが、ドラマながら他人事ながら、損してるなぁと感じます。


あの観察眼をもっていたので、自分で自分がお高くとまっていることにも、気付いていたはず。
妻に素直に謝れなかったり、お礼を言えなかったりしたのは相当苦しかったでしょう。
胃に穴が空くほど・・・。

こうして書くとものさびしくなりますが、正直に物を言う鏡子さんのセリフが痛快であり、小野真千子さんの自由自在に流す涙に引き込まれ、一回70分間のドラマが長く感じませんでした。

長谷川博己さんの百面相によって、漱石さんの精神不安定さがリアルに映り、また、あの「おすまし顔」からは程遠い「怒り狂った三白眼」との差が大きく、迫真性が伝わってきました。


インタビュー記事によると、漱石さんの著書や資料を読み込み、こっそり熊本へ行って本人の住んでいたところや勤務地の学校、鏡子が自殺未遂した橋を見に行ったりして、準備をしていたという長谷川さん。

すばらしいプロ意識を是非とも見習わせていただきたいです。
ただし、鼻ひげはもう少し短く切ってほしいのが、現在の美意識とのギャップでしょう。
ひげにおいては家族そろってイライラしていました。


夫婦の人物像が際立っていたことも大いに手伝ってか、「男の人生は妻次第で決まるところが大きい」と感じます。

こうなったら私も夫として、多大なご支援ご協力のほどを賜るべきと思いもしましたが、ギブアンドテイクを忘れてはいけません。

もらう前に、こちらから与えるのが道理です。

明日も、堅実に勤めさせてもらいます。












四週も立て続けに観ると、本当の夫婦に見えてきます。





金目の黒猫も、ハマリ役でした。  

Posted by らじうむ at 23:07Comments(0)

2016年10月16日

頭隠して尻隠さず。

ご無沙汰しております。


逆立ちをしなくなってからというもの、すっかりブログからも遠のいてしまいました。

逆立ちしようと意気込んだあの熱意は、アウシュビッツの有刺鉄線よりも冷えきっております。

しかし、文章を書きたい気持ちは、南亜の森林に立ち上る野火のように細々ながら途切れないでおります。

やはり、好きでもないことを無理に続けようとしても、長くは続きません。

逆立ち歩きを何度か試みましたが、肩関節が痛めそうな気がして諦めました。
いつか、かくし芸大会にでも出る機会があれば再チャレンジすることにします。



いつか話す機会に話そうと思っていることの一つに、「自分の好きなことは、本当に好きと言えるのか?」というテーマがあります。

教えていただくところ、「それを10年間続けた後に、初めて好きかどうかが分かる」という一つの定義があるとします。

私はランニング以外に好きなものは無いことになります。



例えば、マンガを読むことは小学校から好きなことのつもりでした。

しかし、一か月読まなくても平気であるところをみると、まさしく、「好きなつもり」に過ぎませんでした。

逆立ちも、短歌も俳句も、読書も、切手収集も、日記も、ブログも好きです。

しかし、「どちらかというと好き」レベルであると自覚せずにうっかり口をすべらせてしまうと、真正「好き」な方々の嘲笑の的にされます。


例えば、歌に関しては、車などの密室の中でしか歌いません。
美空ひばりを歌うなんて恥ずかしいからという理由もあります。

たしかに歌うことは楽しいけれど、本当に好きなことではないと感じているから、人前で歌う恐怖に勝てないのです。



嫌いになるほど走ったはずなのに、それでもまだ走るということは、おそらく私は真正「ランニング好き」なのだと思っています。


しかし、疑わしい点を挙げるとしたら、「末永く走り続けるための体の手入れをしない」現状があります。

ランニング前後の準備体操や整理体操は、0~5分。

真正「ランニング好き」ならば、将来走れなくなる可能性を一つでもつぶそうと努力するはず。

そういった備えが自分にできるかどうか。

私は本当に走ることが好きなのかどうかは、まだ検証が必要です。



もし、真正好きならば、いつか走れなくなることへの不安に悩み続けるでしょう。

もし、真正好きでないならば、「大して好きでもないランニングなんかしないで、家事手伝いしてよ」と要求されることへの恐れを抱き続けるでしょう。


どちらにしても地獄です。

理想を掲げて、健康状態や妻と戦い続けなければ、私のハッピーランニング人生は実現しません。

そのためにまず、自分は本当にランニングが好きなのかどうか、突き詰めていきます。


私は詰めが甘いところがあるので。

と、隠れたつもりの猫も教えてくれました。



  

Posted by らじうむ at 22:51Comments(2)