2014年06月26日
露天風呂の日。

父がヒオウギ(檜扇)と教えてくれました。
ネット検索では,ヒメヒオウギスイセン(姫檜扇水仙)と出てきました。
亜種や兄弟種が多いのでしょうか。
図鑑を見ながら感じることは,植物の名前を探し出すことの難しいこと。
本とネットを行ったり来たり・・・暗中模索してやっと出会えた植物名はヒメヒオウギスイセン。
この長い名前に殊更親しみを覚えるのは気のせいか,はたまた運命の織姫だったのか。
実家の庭の片隅にひっそりと咲くヒメさんは,雨に打たれながら次世代への継承を営んでおります。
先日の人権同和教育の研修会では,ヒメさんではなく真央さん(仮名)の話が出てきました。
高校生の彼女は教師からアドバイスを受けたそうです。
「就職試験の折に,もし,違反質問を訊かれたら,答えなくてもよいからね」
就職試験の受験生への違反質問とは,
「親や兄弟のの職業は?」
「本籍は?」
「家の広さは?」
「宗教や信条は何か?」
「購読している雑誌や新聞は?」等々
真央さんは,面接練習をすればするほど不安が募っていきました。
「もし,違反質問を訊かれたとき,質問に答えなかったら不合格になるのでは」
「違反質問を考えれば考えるほど,せっかく志望してきた企業への受験も心配になり,希望が見出せなくなる」
違反質問が存在する背景には,部落差別があると教わりました。
視点は人によりけりですが、私は同和問題を聞くといつも,人間の奥底の欲について思索を巡らせます。
差別と区別の混同や,差別と差異の不明確な線引きが取り沙汰されます。
自分の安全・安心を保つための本能や,感情の一時的な落ち着きを求めずにはおれない人間的な欲求が,他者を低く位置づけようとする動きへつなげてしまうのかと思います。
あらゆる物事を,感情を介入させずに中立的な目線で見つめることは至難の技。
差別がなくならない理由は,まさにそれです。
しかし,互いに戒め続けることで中立人間に近づくことは可能だと思っています。
私の場合,夫婦で続けている「夜の反省会」においてそれを実感しつつあります。
別居夫婦8ヶ月目に突入しましたが,互いに人間的弱みを指摘しあいながら自分を振り返ると,いかに感情のままに流されているのかが分かります。
夫婦間だけで気付かないときは,第三者である師が指摘してくれます。
人間としてまだまだ未熟である自分を知れば,同和問題は自分自身の問題でもあるとつながってきます。
差別することや他者を見下すことで満足感を得るという本性の自分を忘れないために,夜な夜な妻とスカイプや電話越しに語り合うのです。

アパートの階段にカミキリムシくんが。
ネット検索によれば,ゴマダラカミキリかと。
のたまわく,「貴公の前世は,拙者の曽祖父であった。」
・・・踏まなくてよかったです。
Posted by らじうむ at
22:53
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2014年06月20日
最近の充電資源。

出勤前,オオクワガタくんが,我がアパートの入り口に訪ねてきました。
通路を這っていたので,すんくじらへ除けてやりましたが,三日後に同じ通路で踏まれて死んでおりました。
蟻が喜んで群がっていましたが,まさに,無常の殺鬼は時を選ばず。
いつ死ぬかわからないのは自分も同様,交通安全に気を配っての通勤でした。
虫の訪れと扇風機の機械音とともに,夏が盛りへと向かっていくのを実感します。
朝からじんわり汗ばむ朝,鹿児島工業高校の研修会へ行って参りました。
研修前に,お隣の鹿児島女子高にも挨拶へ参り,高校時代の恩師と再会できた嬉しい一日でした。
研究授業の参観と,教師たちの悩み・課題を相談する研修会です。
研究授業は,芥川龍之介の羅生門。
作品の主題を生徒から引き出し,それらに基づいて,下人の行方を想像させて発表させるという内容でした。
「善と悪」
「善と悪を越えた先の現実」
「悪の連鎖」
「悪行を止めることはできないのか」
これらの主題を生徒から引き出すことができたとは,さすが鹿児島工業生。
そして教師の助言や指導の賜物でしょう。
自分と同じ初任者とは思えないような巧みなリードで生徒を動かし,見ている方も終始楽しい授業でした。
「想像力をつけさせる」という教育目標は,小学校の国語から高校の国語にまで求められています。
この難題に対して,正直途方に暮れていた私でしたが,教師がうまくのせてあげれば案外,生徒は自由に想像してくれるものなのだなと思うところでした。
仕事に追われ,疲れが目に見えて表出してきたこの時期,同期の卓越した手腕を見ることはとても良い薬になりました。
自分も授業をよりよく仕上げて,少しでも生徒に還元したいと思います。
先週末にインテリアを二点ほど備え付けました。

誕生日祝いに岳父から贈られた手作り地図と,コルクボードの写真。
大事なお守りです。
Posted by らじうむ at
22:46
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2014年06月14日
去年とは違う私。

「多忙な日々に愚痴を言わず, 些細な仕事もさせてもらえるだけありがたいと思え」
アスファルトに種を蒔く蒲公英くんが,そう言っていたような気がします。
自己顕示欲をブログ更新によって満たす私ですが, つい,忙しさにかまけて筆不精になってしまいます。
たまに書くと,その空き時間の分だけ書く楽しさを再確認できるという僥倖に恵まれることもありますが・・・
やはり書くことをなおざりにしたくないなと思います。
さて,6月も,はや中旬。
気付けば29の節目を過ぎてしまいました。
60代の知人が,ご自身の誕生日に世話になった人へ感謝を述べておられました。
親に礼を言い,職場に礼を言い,そして考え方や生き方を諭してくれた師に礼を尽くされていました。
そして,面白いのは,最大の感謝の意を伝えたのは親ではなく師であったということです。
親以上に深い親心と高い共感性が存在することを,最初は信じられませんでしたが,親以上の「親心」は確かに存在します。
考えてみれば,師の助言があって初めて,親や職場へ深く礼を尽くすことができます。
独りよがりの考えを持っていては,誕生日で祝われるよりも先に,親への感謝を述べることはなかなかできないはずです。
私も見習って,お礼を述べさせて頂きました。
親,職場,そしてもっとも世話になっている人に感謝する機会となる誕生日。
できれば毎日が誕生日と同じ心構えでいたいと願わされます。
職場では,教育実習生が10日間の実習を終えられました。
「生徒の成長を見届けることができる教員の立場がうらやましい」
という声を聞き,採用された私自身の立場がいかに恵まれているか,再確認しました。
現在,私が教え伝える「教科書棒読み古典文法」を生徒たちは健気に暗記し,古文を読み解こうとしています。
その悪戦苦闘ぶりがじれったく,またかわいい・・・。
無味乾燥に見える古典解釈と向き合うことで,滋味あふれる古典世界へ生徒と一緒に入り楽しむのが私の目標です。
また,一見なんの生産性も無い古典文法と古文解釈ですが,古典の思考法や思想が彼らの生きる知恵の一部を成し,古典解釈の過程そのものが,類型的に判別する力や論理的に推理する力を育てる意義があると信じています。
私は国語を楽しみながら,さらに生徒の成長をそばで見ることができるという2つの特権を有しています。
そんな贅沢者の教員を見て,
「内定企業が決まっているが,学校教員になりたい気持ちが芽生えた」
と,実習生に言われたら,こちらも一段と奮起するというものです。
実習生の来校も,私にとって良い機会でありました。
ところで,鹿児島南高校の商業科生徒がネットショッピングを開設しました。
一般企業の助力を頂いて,生徒社長や生徒広報部長らが着任。
まだ数少ないその中の一品を,先日学校で購入させていただきました。
桜鳥オムライスです。(約500g)

中身は,ハンバーグと炊き込みご飯が所狭しと詰まっておりました。
男子生徒が考案しただけあって,おなか一杯,大満足で午後は夢うつつに・・・。
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Posted by らじうむ at
22:19
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