2013年10月21日
西田橋。
先日、鹿児島市の歴史学習の機会をいただきました。
甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)
鹿児島市を流れる甲突川にかつて架かっていた五つの石橋です。
玉江橋(たまえばし)、
新上橋(しんかんばし)、
西田橋(にしだばし)、
高麗橋(こうらいばし)、
武之橋(たけのはし)。
1993年8月6日の鹿児島大水害により、新上橋と武之橋の2橋が流失。
玉江橋、西田橋、高麗橋は、八六水害に耐えたのですが、災害時の危険性が考慮されて改修工事。
一部が記念公園へ移設されました。
たかが石橋、されど石橋。
江戸末期の職人技が凝集した、精巧なつくり。
鹿児島市民に愛された五石橋は、惜しまれつつコンクリートに塗り固められました。
「西田橋、私も大好きだった」
鹿児島市育ちの母も目を細めて言います。
鹿児島県国語教諭の大先輩、茂山忠茂さんの詩を載せたいが為に今日のブログ更新です。
「西田橋」
カッポ、カッポと
荷馬車の蹄の音
大八車の軋み
それらがよく似合った西田橋。
肥後の石工俊才岩永三五郎の魂が刻印した弘化三年丙午九月十一日。
職人の誇りにかけて
美と力と志を
巧みに組み込んだ名橋。
民衆が文明に架けた
未来へのアーチ
一つひとつの擬宝珠に
高々と文明の火を灯し
対岸へやさしく傾けれる
孤影を
甲突川の水面にゆらりと映す。
陽を吸った石を撫でると、
石工たちの掌のぬくもりが、
熱く伝わってくる。
戦火に耐え、
二十世紀の
車の洪水に耐え、
「百年に一度」の
大水害に耐えた
堅牢な橋脚を、
行政の濁流が攫う(さらう)
五石橋。
(河川激甚災害対策特別緊急事業)
その最後の石橋が哭く。
西田橋が、
哭く。
西田橋を知らなくても、思い入れの強い建造物が無くなった時の虚無感や寂寥感が思い出されます。
無念さの一方で、無常の移り変わりの中に、かけがえのなさや美しさを見出すことも教えてくれる詩です。
無機質な石橋に生命を吹き込むことを、詩は可能とします。
言葉の力は無限大です。
Posted by らじうむ at 11:47│Comments(0)